見えない犠牲
目の前の人を正したいと感じた時、それは、自分がその人を正すために自分の人生を差し続けなければいけない道を歩いてる時でもあります。
人の人生は、その人にしか築けないものなので。
自分以外の誰かをどうにかしようとすると、自分も自分の道を歩けなくなり、誰も自分の人生を生きることができない世界が加速するだけです。
家族は近いからこそ、お互いの人生をどうにかしたいと思ってしまいますが。
誰かの人生をどうにかしなければ成立しないことや、誰かが自分の人生をどうにかしてくれていることが成立しているとしたら。
そこには「犠牲になっている誰か」がいるということなので。
正しいとされてきた道を維持しようとする前に。
自分の「正しさ」がどんな世界を成立させているのかに目を向け、その正しさの先で起きている「今」に気づくことの方が、よっぽど救いになるなと思います。
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