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[いのり]には「祈り」と「生宣り」の二つの捉え方があります。

祈りの語源が「命を生きるを宣言する」という意味の「生宣り」であり。「私を生きます。そのために必要なことをします。」という宣言をすることが[いのり]の本質であることを現しているそうです。

ちなみに、[いのり]がなぜ届くのかを考えてみたことってありますか。

あれは願ったから叶ったんじゃなくて。願って、何に気づけばいいかを受け取って、そのために必要とされたことをやったから叶う状態になっています。

そのため、[いのり]を〝願う行為〟だと思っていると、その現実を変容させるために届けられたことに気づくことが出来ず、必要なことをやることが出来ない。その結果、叶わなかった。ということにになるわけです。

[いのり]の本質は感謝なので。

命を循環させるために必要なことに
取り組むことを「宣言」して。

その結果、受け取った現実の
何に気づくかに「観」を向けて。

それをどこに向けて
完了させていくかに「取り組む」

そうすれば、感謝という名の循環を起こすことができる。

[いのり]とは誰でも再現可能な[循環を起こす仕組み]です。だからこそ、その仕組みの使い方や方向性が変わると、受け取る循環や現実のカタチが変わります。

そして、その仕組みの使い方や方向性を左右しているのは、その方の生き方が反映されている「観」(意識)です。

個顔屋は、個の命を使って生きたい方達が、自らの道を創造するための「観」を磨き、取り組むための體を整える場所です。

個の命を生きるために必要なことに「取り組む」という個顔創りの考え方は、この「生宣る」仕組みそのものでもあります。

自己の命を生きる「生宣り」の成立に必要な、「観て」「取り組み」「生かし合う」場を活用しながら、自己の命輝く個顔を創造していきたい方はご依頼ください。

道を築くための「観」を磨く>>
【個顔のすゝめ12の極観】

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【個顔屋】

宣言した個の命を「生かし合う」>>
【こびと家】

 

 

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