BLOG

ブログ

12の極観。全12の講座を開講しています。

全てが開講されていることに気づいてご連絡くださる方や、え?いつの間に?!受けたくてずっと待ってました!と言ってくださる方達とのやりとりが続き。

あ、これ、ちゃんと公開しないといけないタイミングなんだなと(笑)今更ながら、お知らせの場を設けさせていただきました。

受けてもらうためにカタチとして創造したのに。そのカタチを受けるための場を閉ざしたままにしてしまうという、いつもの悪い癖が出て。事後報告な感じになってしまったのは、私の勇気の問題です。

自分を証明するって、カタチにするということですが。私にとって、カタチって、「〝ある〟けど〝ない〟」「〝ない〟けど〝ある〟」みたいな感じで成立している世界なので。それをカタチで留めてしまう「言葉」というものを表に出すということが本当に苦手で。

言葉の力を知っているからこそ怖くてカタチとして残せないという葛藤から、今回、12の全ての場が完成したにも関わらず。12の講座を全て受講した後に浮き出てくる「命の音」を言葉にして伝える場を持つことに躊躇が起き。完成に至ったことを、こちらでは公開できずにいました。

だけど、それも、私のエゴだったと気づけたのは、言葉を残してもそこに囚われるのでなく、今を観るために、その言葉を使って自分が変化していくための道具として使おうとする意識にある方達とのご縁を持つことができるようになったからだと思います。

『12の座を創ってその人の命を極立たせる』というこの講座を創り始めてから完成に至るまでの約3年間は、ぶっちゃけ、血が滲むどころか、血を吐くような葛藤と努力の繰り返しで。

自分の言葉をカタチとして残す場に、これでもかというくらい向き合わされながら、全ての講座が出来上がった時に現れた自分の「命の音」が言葉(カタチ)になった時。「命の役割を鍛える」ってこういうことだったのかと。12の座を廻る意味と、廻ったことで受け取ることが出来た方達とのご縁が自己信頼を固める場となり。宣言の場を受け取ることが出来た次第です。

すでに「12の観」を廻ってる方はわかると思いますが、座学というより、命を磨く儀式ですよね。笑

体験がちゃんと用意された上での答え合わせのために深くその現象を観るためのことが起こるからこそ、その方の命が極まるタイミングで受けたくなったり、最善の流れで最善の講座内容が組まれるようになっているんだと思います。

講座を受けたいなと感じるタイミングは、その方が「自分の命を使って生きる宣言」をする場を強めたい時。

「生宣り(いのり)」を実践する視野を受け取りたい方はご依頼ください。

宣言りとは>>>

12の観を廻る意味>>>

 

この記事を読んだ方に人気の記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。