カタチにするための体験
個顔屋のセッションは、全て「やる」ための體で生きられるようにすることを目的として組み立てています。
「重さ」がありすぎると、身動きが取れなくなり、やるための時間を持つことができなくなり、命の循環を最善ルートで使えなくなっていくからです。
その方が自分に持たされてきた道を、ちゃんとカタチにする時間に命の循環を使っていけるように。不必要とされた「重さ」を昇華していくと、身動きが取れるようになり。進む方向がわかり。あとは、「やる」だけになります。
そのため、セッション後は「やる」ための現実が加速されます。
その「やる」を後押しするのが、セッション後にお伝えしている『最善とされた取り組み』です。
これは、やってもいいし、やらなくてもいいもの。だけど、「やる」とさらに加速した現実を受け取ることができます。
なぜなら、この世界は「重力」=「動くこと(体験すること)」で現実化が定まるようにできているからです。
セッションでは、その「重力」を使って〝何をカタチにするか〟に光を当てて。それを〝カタチにするための道を整理する〟ものですが。
その道を受け取るために「やる」という「重力」を使う行為は、本人にしかできません。
受け取るために「やる」という意識に場を決めたなら、それを受け取るために必要なことしか起きなくなるので。
動いてもいいし。
動かなくてもいい。
動いたなら、手放すために使った自分への信頼を強めてくれるし。
動かなかったなら、動かなかったことで訪れた圧が、手放せなかった我を崩す場を強めてくれる。
どっちにしろ、自分の道に転じることしか起きないからこそ、転じるための体験としてお伝えしている『最善とされた取り組み』でそれをやるのか。それとも違う体験でそれをやるのか選ぶのは自由でいいと思っています。
しいていうなら、『最善とされた取り組み』は、気づきのスピードが速まるルートでおつなぎしている「体験=重力のかけ方」なので。
自分の今を加速させるエネルギーがあると感じてるなら「やる」。
加速するエネルギーがまだもてないと感じるなら、その体験に取り組めないのはなぜなのかという理由を観ることを「やる」。そんなきっかけにしてみるといいと思います。
どっちにしろ「やる」に至る方向に気づきが向くようになっているのが、『最善とされた取り組み』を通して観せられている意図です。
今手にしている現実は、全て「やってきたこと」でしかできてないので。「やる」ことでしか変わらないのが現実です。
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