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言葉に愛があるけど、言魂に愛がない。

言葉では正しいことを言っているのに、その言葉を受け取った時に違和感があるときは、自分のハラに不一致が起きている時であり、目の前の愛のカタチを見直さなければいけない時です。

ハラにあることとは、自分がこれまで積み重ねてきた自分。ここに不一致がおこるとは、これまでの自分を疑うという状態がおきている時です。

誰かの言葉をきいてモヤついたときは、消化不良をおこしている時と似ていて。

噛み砕かないまま吐き出された言葉を受け取っていて〝消化できない〟のか。

噛み砕かずに丸呑みしてきたことで、その言葉を〝消化するチカラがない〟のか。

丸呑みを良しとしてきた人と、噛み砕くことを良しとしてきた人とが言葉を交わすことで、自分の〝消化の仕方に気づく状態〟が起きているのか。

この状態が起きているとき。人は他者や自分の言葉にモヤつき、積み重ねてきた今にモヤつきます。

これを解消するには。

自分が「何でモヤついているのか」に気づくしかありません。なぜなら、消化は自分でしかできないことだから。

〝消化できない状態のもの〟を渡されたなら、噛み砕いて昇華する方法を考えればいいし。

〝消化するチカラがない〟なら、自分で噛み砕くチカラをつけるところから始めればいいし。

〝消化の違い〟に気づいたなら、自分と相手の消化の仕方の違いに気づき、自分の今を見直せばいい。

それができたら、モヤはなくなり、自分の人生を「自分ごととして昇華するチカラ」をもてるようになります。

ハラにたまったモヤは、誰かにぶつけるのでもなければ、自分だけでかかえるものでもない。

「噛み砕く」上下(カミ)が合わさり現象化した今に気づくと、「消化」=昇華がおこり。どこかの誰かのためになったり、自分のためになったり、役立つものに変わっていく。

役に立つかどうかは、誰かの評価で決まることではなく、いかに自分という役を立てることに意識を向けて生きているかで起こることです。

 

 

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