自分の「痛み」を見る覚悟
自分の痛みを見る覚悟はありますか?
これは脅しているわけではなく。その覚悟がなければ、自分と向きあうことってなかなかできないものだからです。
人間の脳は「自分が死なないようにする」。それを一番の役割としている臓器なので。
苦しいこと、辛いこと、きついことから目を逸らして回避し。さらにそれを、自分の都合のいい現実として処理しやすいようにラベル化して自分の痛みにフタをすることで「痛みをなかったことにする=あるのに見えないようにする」ことを得意とします。
なので、自分の痛みを見る覚悟がなければ、脳のパワーに負けて、目の前のことに向き合えなくなる。それが、人間の肉体を維持するために備えられている当たり前の仕組みです。
以前、クライアントさんの中に、自分が本当に見なければいけなかったことを見せられた時、自分に必要なことを教えてくれるって紹介されたからきたのに、どうしてこんなこと言われないといけないといけないのか、なんでこんな苦しいことと向き合わされないといけないんだと怒って帰られた方がいました。
自分と向きあって、目の前の課題を完了させていくためではなく。自分に都合のいい現実を見せてくれる場所だと思ってきていたことで、
自分の正解が手放されてしまう
=痛みを感じてしまう
=死んでしまう
モードにスイッチが入ったんだなと。
信念って、作る時も、壊す時もにもエネルギーが必要とされますが。つくられた信念を保管し続ける時も常にエネルギーが費やされているので。古くなったものが解除されると、エネルギーがその分からだの中に巡れるようになるんですが。
そうやって巡ってきたエネルギーを、自分の腹の中にあるものを昇華するためではなく、自分の正しさを死守するための感情として使われたんだな、もったいないないなと感じた例でした。
見たいものを見ることを自分の願いとしているうちは、本当に見なければいけないことを見ることはできない。そして、本当に見なければいけなかったことって、大抵、ものすごく見たくない自分だったりします。
私がお渡ししていることは、見えない世界とのやり取りの中で手渡されたものですが。
その人の希望を通したり、思い通りの現実になるようにしたり、願いや夢を叶えるものではなく。むしろ、見なければならなかったことを直視させるようなものです。
そして、それを直視できない理由となっていた信念を解除していくことで、その方が、ちゃんと現実と向き合い、今を乗り越えるための体験に取り組んでいけるようにすることを目的としています。
私も含めてですが。
人は苦しいことから逃げたくなるのが普通です。
だからこそ、ただ逃げるのか、逃げたいと感じている理由に気づこうとする時間を設けるのか。それによって、選択が変わり、行動が変わり、目の前に現れる現実が変わるので。
苦しいと感じている何かに直面している時ほど、自分の中にある「痛みの正体」に耳を傾ける勇気を忘れずにいたいものですね。
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