現実を変える力=「気づく力」
個顔屋でお伝えしている、「自動的」に変わるという意味は、「自ら」がそこに「動」くと決めることで受け取る「的(現実)」が変わるということです。
つまり、変化する道も、変化するために必要とされた言葉も全て受け取っているのにも関わらず、その人が見せられている目の前の現実を受け取らないのであれば、変わらないということ。もっというのなら、受け取らない(取り組まない)うちは、変わったことに気づけないまま、〝すでに変わっている現実〟の中にいるみたいな感じです。
人は皆、魂の計画を遂行するために、あえて傷を持たされた状態で生まれてきて。その傷を癒すプロセスに取り組むことで、全てひとつの循環を書き換えていこうとする意図があると言われています。なので、まずその傷があること気づき、それに気づいたのなら、どこに向かってその傷の治癒を完了するためのプロセスに取り組んでいくか。自己実現=あるがままの個・自分の使命を生きるって、その先に叶っていくものです。
個顔屋でさせていただいているのは、この、「あるがままの個」を全うするための生き方に取り組もうとしている方のサポートなので。自動的という意味を、「自ら」の代わりに「動」いて「的(現実)」を変えてくれるものとして捉えているのであれば。おそらく、私ではなく、見えない領域を整えるような機械に任せてしまった方が楽かと思います。
自分の道を歩く力をつけるって、筋力をつけるのと同じなので。自分の足で立って、自分の頭で考えて、自分の意思で動くということを繰り返してきた人と、誰かにどうにかしてもらうことを繰り返してきた人とでは、同じ現象を目の前にしても、受け取った情報の取り扱い方や、そこから導き出される行動が変わるため、「自動的」に創造される現実の見せられ方が変わるということです。
セッション後に、長年のトラブルが急に消失した方、自分が今まで正しさとしてきたことから切り離されるような体験が起こる方、現実が動くことで向き合わなければいけなかった課題が浮上するようなことが起こる方など。
自分がどんな風に生きてきたかによって、「自動的」に現実化することは変わります。
それが分かれば、自分の歩み方にフォーカスし続けるだけでいいとわかるし、それしかできないよなって思います。
現実を書き換える力は、どれだけ目の前の現実に「気づき」を持てるかで養われるものです。そして、「気づき」とは、その人がどれだけ自分の人生と向き合ってきたかでしか養えないものです。
モヤついて、抵抗したくて、腑に落ちないことほど、その人が本当に見なければいけなかったこと。その傷に気づくからこそ、その傷を完了させるために必要な体験が訪れることができ、自分だけの道が創造できるようになる。
停滞したループから抜け出したい時ほど、あれこれ手を出すよりも、囚われていた自分に気づくために必要なことに向き合い続けることで「自動的」の力を現実が変わるスピードへと変換できるようになるので。追い風にするのも、逆風にするのも。結局、自分ですね。
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