BLOG

ブログ

きらりのゆうじさんのところに行ってきました^^

ゆうじさんは職人気質なところが好きで。生死感や精神世界に対する極端な話をしていても、言葉の一つ一つにちゃんと中身が詰まっているというか。淡々と地に足がついている安心感があって、心地いいんですよね。

見た目、めっちゃ極まってるんで。誤解されることもあるんじゃないかと思いますが。笑

最近では、この方とゆうじさんが似ているという噂が立っているらしく。

ゆうじさん↓



ニギハヤヒ↓



噂のそっくりさんが、まさかの神。笑

激似で爆笑しましたよね。

日本のカミ様達の中の一人だそうですが。ゆうじさんが似てきたのか。ニギハヤヒというカミが似てきたのか。🤔

容姿って、その人が見ている世界観が現れるところ。さらに、その中でも、骨・内臓・感覚器官はその人の個性=宿命の気で形がなされる場所で、そこに、環境や時間や思考が積もり積もって肉付きとなり、その人の今という形を成しています。

その視点から考えると、ゆうじさんの生きてきた歴史が、ニギハヤヒの生きただろう歴史と重なって歩んでいる今が起きた結果の姿カタチの創造で。だから、カミのような存在とか、カミになったっていうより。そうやって生きてきて、そうやってこの世界を生きていた人と共に創造する器を構築してきたんだなぁと。しみじみしたというか。

いろんな神への考え方があるかと思いますが。

神って、

「自分という存在を受け取りながら、極め極まり生きてきた結果、気づけばカミという状態が光の形を成していた」

↑みたいな、人間の我を取り除き続けた結果の末に現れる姿のことだと個人的に思ってて。

だからこそ、自分という個体に任せられたポジションが極まれば、いつしか容姿は光を放ち、その人の本質が際立った風貌になっていき、その極まりの結果を、八百万の神と言われる日本の神様や、ギリシャ神話に登場する神と呼ばれる存在に反映させているように感じてて。

だって、みんな人間の姿をしているし、神話として語り継がれていること自体がとても人間臭くて親近感が湧きませんか?だから、別世界の特別な何かではなく、一人一人が自分を極め続ければたどり着く世界のことなんだろうなと。

なので、今回のゆうじさんのカミ激似エピソードは、私の顔や容姿に対するその見解を見える化してくれたような気持ちと、やっぱその世界線ありますよね!っていう確信を腑に落とせたような時間になりました。

個の世界が極まると、どんな容姿が創造されていくのか。個顔づくりの時間がさらに楽しくなりそうな予感です^^

 

 

この記事を読んだ方に人気の記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。