よくないと言われている時期の個人的な捉え方
天体の読み方はしらないんですけど。
天体の動きは肌で感じるタイプです。
近頃、なぜそうなる?・・・ってことが続くなと思ってる時って、やたら、どこかの惑星が逆行してたり、なんちゃらコンジャクションみたいなとこにきてるというような情報に出くわします。
不思議です。
人体は五行でみるんですが、そこには五つの惑星も関わっていて。五感、感覚器官、五体満足というように、人体の個性=その人の宿命には、惑星が連動して、宇宙全体とつながりあっているんですよね。「人体は宇宙を内臓している」って書かれた書物とかもありますが、まさにです。
で、宿命って魂の計画なので、時期がきてもその計画が進んでなければ、逆行のときに、ガッコンガッコンいわせてふるいにかけるそうです。天体の引力って強制執行みたいなものなので。どれだけしがみついていたくても、目を逸らしたくても、動かされるし、見せられます。
で、ちなみに、今、土星と海王星が逆行中です。(←もっといろんなの動いているかもですが)
その角度から見たイメージ的には、10数年分の試練と内側にためてきた想いをカタチに落とし込むために、その整理に取り掛かるためのガッコンガッコンが起きやすいとき。
自分がどんな世界を生きたいと思っていて、どうやって取り組んできたか。そしてそれは、魂の計画にそってきたものなのか。天体って、そんな一人一人の壮大な計画に、共に取り組んでくれているものだなって思うんです。
だから、逆行でも、順行でも、なんちゃらの日だとしても。あまり恐いと感じないし、期待もしない。
どの流れにいたとしても、その流れを受け取り、見せられた目の前のことに取り組むだけ。
目覚ましテレビの星座占いに一喜一憂し、占いで言われたことに一喜一憂し、天中殺や大殺界という言葉に怯えて生きていた私の視点で歩いてきたからこそ思うんですが。
何がきても、結局やるだけだったので。
体験しない方法を探すより、体験に取り組む方法を探した方がいいし、
手放さない方法を探すより、手放す方法を磨いた方が生きやすくなるなと。
怯えるより踏み出し続けた方が、次々訪れる現実の課題に取り組む力がつくので。だんだんと、なるほど、そうきたかと、ちょっと楽しくなってくる瞬間とか出てきたりするんですよね。
そう感じます。
だから、見せようとしていたのは何だったのか。それを見るために、今、天体がどの位置にいるかを参考にするって感じです。チキンなので、あらかじめ知りたくないっていうのと、宿命として決められているからこそ、自分の人生を自由に体験したいっていう個人的なスタイルですけど。
あらがいたくてもあらがえないものにあらがわず、やるべきことをやればいい。
それが常になると、案外、すんなり乗り越えられていたりします。
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