触れる世界の極み「骨」の医学との出会い
「触れる」ことで流れてくる「そのまま」の感覚に、ただ耳を傾ける心地よさがあることに気づいたことで。
次第に、この時間を仕事にしたいと、バイトをいくつも掛け持ちしながらアロマやエステの学校に通い。その後はご縁あって繋がった美容整形外科への就職まで一直線でした。
美容整形外科という現場での体験は、人の顔から感じる「音」と表情がズレる感覚への敏感さで生きづらかった私にとって、大きなターニングポイントになりました。
医学的な視点から人体がもつ美しさのカタチを追求し続けるうちに、「顔」を〝結果〟として俯瞰できる意識が備わるようになり、表情と感情に対する不一致への恐怖が〝興味〟へと変わっていったからです。
そうして、顔への認識に対する興味が深まり出してきた頃、〝どれだけ変化を証明されても、目の前に映し出されているその現実を本人が見ることができない〟というパターンが起こることに興味が湧くようになり。次第に、世の中で求められている「顔の美しさ」に疑問を持つようになっていきました。
オステオパシーの世界に出会ったのはそんな時です。
全てを一つのユニットとして捉える骨の医学に触れた時、自分が一致するような感覚が駆け巡ったことを今でも思い出します。
そして〝触れている者〟と〝触れられている者〟がその空間に「ただあるだけ」になることへの信頼が巡る時間を経た後、鏡で自分の顔を見ると。そこには、何かが抜け落ちたかのように穏やかな顔が映し出されていました。それは、まさに、外側と内側が一つに繋がったような感覚でした。
コントロールしない。
ただただ自他の今を信頼する。
見える世界は見えない世界とつながりあっている。
「触れる」ことで自分と自分以外の世界につながることができるオステオパシーの世界観は、生きずらかった私の世界を溶かしてくれるものになり。どこまでも繋がり続ける世界に没頭していくうちに、「私を証明する場所である顔(頭蓋骨)の構造は、その人の生き方でいくらでも変わっていく」ということがわかり。
美容整形では変えられれない領域があるのなら、私はそこから「顔」という場所への整いに関わりたいと思うようになりました。
そうしてできたのが「こがお屋」です。
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